先日梅田の淀橋(ルクアとヨドバシカメラの間のペデストリアンデッキ)を渡っていたら、「あれは『まあるい緑の山手線~』というCMソングなんや」とヨドバシカメラのCMソングを連れに説明している人がいました。
「そんなのみんな知っとるわ!」と思わずツッコミそうになりましたが、よくよく考えるとここは大阪でした。たぶん連れが「なんでヨドバシっていつもあの曲かかってんねやろ?」とのたまったのでしょう。
ところで、しばしば元歌が何だったか思い出せなくなってしまったCMソングがあります。ヨドバシカメラのCMソングの元歌もよく分からなくなります。
調べたところ「リパブリック讃歌」というアメリカ民謡を、阪田寛夫氏が訳詞した「ともだち讃歌」という童謡でした。「ロビンフッドにトムソーヤ」というフレーズに記憶がありませんか?
ライバルのビックカメラのCMソングもなんとなく馴染みがあるメロディだと思ったら、「Shall We Gather at the River?」という賛美歌が元歌でした。
馴染みがあったのは、北摂ではそこそこ知られているキリスト教系の幼稚園に通っていたからでしょう。
最近完全に元歌がわからなくなってしまったCMソングが柳楽優弥さんと有村架純さんが出演しているWOWWOWのそれです。「ふふふふんに入ろかな。やっぱりやめよかな」というアレです。
あれも検索してわかりました。「幸せなら手を叩こう」でした。
恐ろしいことに幼いころに習った童謡や文部省唱歌を、CMは容赦なく上書きしてしまいます。
でもそれはテレビやCMが恐ろしいのではなく、人間の記憶の可塑性が恐ろしいのです。おそらく耳馴染みのある曲を、家族や職場で隣席の同僚がずっと替え歌で歌っていたら、きっといつか元歌がゲシュタルト崩壊します。
ただ、現実世界では、家族や隣席の同僚がずっと替え歌を歌い続けることはありえないですし、もしあったら別の恐ろしいことが起きているかもしれません。
しかしテレビのCMなど広告キャンペーンは、平気でそういうことをやってのけます。電車の中吊りや、地下街の広告ジャックなども、インパクトは強烈ですが、一つ間違えるとホラーだと思います。
でも広告キャンペーンのその先にあるブランディングというのは、そういうものなのです。
以前にも書きましたが、ブランディングの本質は、同一のイメージの反復です。ブランドとは、牧場で自分の牛を区別するためにつけていた焼印が語源だといいます。
焼印は現代だとおそらく動物虐待ですが、同じ焼印を反復して押すことで自分の牛だと主張し、場合によっては牧場の評価にもつながっていたのでしょう。
そもそもは牛や牧場の評価に意味があるのであって、焼印には意味はないはずでした。ソシュール言語学でいうシニフィアン=シニフィエの関係です。
でも、いつの間にかブランド(シニフィアン)が独り歩きします。「おらがファームの牛だからぜったい美味いべ」という風に。もちろん食べてみたら不味いこともあるかもしれないのに。
でもそれがブランドであり、そこまで到達させるのがブランディングなのです。
しかし、ブランディングも能動的なブランディングと受動的なブランディングがあります。能動的なブランディングは(比較的に)明確なゴールがあって、それを目指すブランディングです。
テレビCMなどマス媒体で展開されるブランディングは、通常はこれです。新商品や新サービスを展開するに当たり、明確なコンセプトやペルソナを作り込んで、ひたすらそれに合致したイメージを無限反復するのです。
ただひたすら「ふふふんに入ろかな。やっぱりやめよかな」といいつつ、絶対にやめないのです。
正直なところ「ふふふん」でどのターゲットを狙っているのかは全く理解できませんが…。でも間違いなく「幸せなら手を叩こう」は「ふふふん」で上書きされ、曲が流れるたびに、「あ、またWOWWOWのCMだ」と認識するようになります。
CMソングの効用はここにあります。音楽で刷り込みを強化するのです。これはジングルやサウンドステッカーでも同様です。トータス松本ばりの暑苦しい声で「なぁーいと」と歌えば、関西人は「すくーぷぅ!」と続けるでしょう。
そういえば2代目の歌手を募集しているという「ハ・カ・タのっ!」も日本人の多くは「塩っ!」と続けるでしょう。
でもここまで刷り込むには、相当の時間と資本を投下する必要があります。テレビやラジオのCMを何回も打たないとなりませんし、そのためには莫大なお金が必要なのです。
ファッションブランドなら、そのイメージを作り上げるために、ハリウッド女優なども引っ張り出してくることでしょう。ますますお金がかかります。
では、茨木・高槻・吹田・摂津といった北摂で地域密着型ビジネスを展開する私たちにはブランディングは無縁なのでしょうか。
決してそんなことはありません。受動的なブランディングを展開すればよいのです。
同一のイメージの反復ということであれば、商品そのものも、同一のイメージになりえます。安定していいものを供給することで、「あの店の〇〇はよい」「あの店の〇〇はおいしい」という評価、つまりイメージになります。
それの積み重ねがブランドになっていきます。京都の老舗だって、最初は「最近できた店」だったのです。
頑張りすぎないのだってブランドになりえます。「あの店にいくとまったりしてて落ち着くわ」なんて風に。まぁ通常はそんな評価をされるだけの努力を水面下でしているとは思います。
でも、どちらのブランディングがよいとか、悪いとかは一概に言えません。人間でいうと、目標があって「なりたい自分」に向かってガンガン突き進むタイプと、のほほんと、もしくはマイペースに「なれる自分」になってしまうタイプがあるのと一緒です。
でもどちらが最後に成功するかはわからないのも一緒です。
むしろ能動的ブランディングは、お客さんを選んでしまうということで、狭い商圏では失敗する可能性が強いのです。お客さんの要望にこたえつつ、受動的ブランディングを行っていけばいいのです。