雪崩で高校生らがなくなりました。いくつで命を落とそうと命の重さは同じですが、先のある若い命が奪われたことは痛ましいことです。
今日のニュースでその高校生たちを引率していた教員の記者会見が行われていました。落ち度の有無など刑事責任はどうであれ、引率者としての結果責任はあるということで会見されたのだと思います。
べつに糾弾したり興味本位で取り上げようというつもりはないのですが、広告宣伝を手がける立場として会見には気になることがありました。
教育委員会という公共機関ということで企業広報と同一に考える必要はないのかもしれませんが、危機管理では重要な「謝罪のプロトコル」にのっとっていなかったのです。
そのために今日の会見にこめられたメッセージがよく伝わってきませんでした。むしろネガティブなイメージを持つ受け手が多かったのではないかと懸念しています。
その理由をいくつか挙げたいと思います。
1.最高責任者が現場担当者を矢面に立てている印象を持たれかねない
これは報道側の編集によるものかもしれませんが、引率責任者の教員のみが話しているように見えました。
おそらく県教委の責任者も同席していたはずなのですがほとんど発言していないために、会見冒頭の頭を下げるところしか放映されていませんでした。
引率教員の発言だけが切り取られたことで、責任者が現場担当者(引率教員)にすべてを押し付けているように見られかねませんでした。
本来は責任者がイニシアチブをとって発言して、詳細のみを教員に発言させるべきだったかもしれません。
できれば責任者があるていど現場からヒアリングしてみずから質疑応答を行い、詳細だけ現場に振るべきだったように思います。
2.謝罪のドレスコードが無視されていた
特に長く映っていたのが引率教員だったので、服装を観察してしまいました。謝罪のドレスコードを逸脱していることも気になりました。
スーツは黒っぽい無地だったのは正解でした。しかしシャツがストライプで、しかも袖の部分だけ無地といういかにもいまどきのおしゃれドレスシャツだったのは感心しません。ここは白無地のシャツであるべきでした。
ネクタイも白と黒のストライプでした。これの意味をわかっていなかったのでしょうが、本来は結婚式で燕尾服などに合わせることもあるネクタイです。
9人もの若者が亡くなったことで開く会見にはふさわしいものではありませんでした。黒無地のネクタイを着けるべきでした。
おそらく謝罪のプロトコルとは無縁の教員の方が「人前に出るのだから失礼のないように」と選んだのでしょうが、完全に裏目に出てしまいました。
3.謝罪にふさわしい身体技法が欠如していた
これは印象の問題なので異論は多いかもしれません。しかし引率教員の方の表情はやや緊張感が足りないように見られるのではないかと危惧しました。
おそらく心中では生徒への謝罪や後悔など多くの感情が去来していたことでしょう。会見の途中で顔をゆがめ、声を詰まらせる場面もあったからです。
しかし、教員という職業柄それを出さないということが身体化されているのだと推測します。さまざまなことに動揺すると生徒を統率できないということもあるのでしょう。
長く付き合っている人間どうしならともかく、初対面の人にたいして感情を伝えるにはオーバーなくらい(語弊がありますが)「演技」も必要です。もう少し沈痛な面持ちをするように努めるべきでした。
サービス業のひとであればもっと適切な表情でいたことでしょう。
SNSや掲示板サイトなどインターネットの普及により、謝罪の仕方を間違えると再炎上しやすい時代です。公共機関であっても企業広報と同様に謝罪のプロトコルについては配慮したほうがよいと思います。
謝罪するために開いた会見で誤ったメッセージを発してしまっては元も子もありません。会見自体は「世間」という曖昧なものへの謝罪です。しかし本来の謝罪の相手方である高校生やその家族・遺族の感情も害することにもなりかねません。
もちろん教育委員会も、プロの企業広報などを入れないものの真摯に対応しているのだとは思いますが。